チャイルディッシュっす

組織の上の方の人が集まる場にいると、同僚に対する批評が耳に入ってしまうので嫌だということはここに何度か書いている。が、それは「悪い評」ばかりではない。それと同数とは言えないけれど、「良い評」も耳に入る。

良いことを聞く方が悪いことを聞くよりずっといい。でも、くだらない捻くれ感情が生まれて来てしまうのは「良いこと」を聞いた時の方だ。頭では「うんうん、あの人すごいよね、そうだよね」と肯定しているのに、心の奥底で「私のことも褒めてくれよぅ〜〜〜」という奴がジタバタし始めるのだ。

最近、そいつの存在が気になって仕方がない。

仕事をして「助かるわ〜」と言ってもらうことは偶にあるけれど、もはや「便利だわ〜」くらいにしか聞こえないくらい、捻くれかけている。ダメ出しをくらわないのは、どうでもいいからだとさえ思えてくる。

まあ、面と向かっては褒めない日本の文化的な背景によるものであって、私のいないところでは絶賛されているのかもしれないけど・・・(あほか、むしろ、なんだかんだ悪いことを言われている可能性を心配した方がいい)

とにかく、私の中の「褒めて褒めてチャン」が鬱陶しい。
必要以上に頑張ったりするから、余計な期待をすることになるのだ。逆か。余計な期待をして必要以上に頑張るから、しなくてもいい「がっかり」をするんだ。期待をするな、期待を。

テキトーにやっておけばいいのよ、どうせ毒にも薬にもならない平凡を絵に描いたような私なのだから・・・って、開き直ることもできず、なんだか面白くないな〜〜という気分が静かに降り積もっている。

幼稚だなあ。幼稚だよ。わかっているのよ。
でもそいう時なの、今。

それで、「褒めて褒めてチャン」は週末、あることを誰よりも頑張ろうと思っているんだけれど、たぶん、そんなのは当たりまえに平常運行の私としてスルーされるね。そして他の誰かが褒められて私は拍手をするのだ。

sakurai
書かなければ忘れてしまうようなことを書き、次の日には書いたことを忘れています。1960年代生まれ。♀。肩書不定。ただの「私」でありたいんだと青臭いことを言っても、読んだらわかるただの主婦。