蛇イチゴを見つけたよ

やさしい方々に励まされて今日も書いています。

5月の半ばごろにいただいたメッセージの中に「蛇イチゴ」のお話があった。その時、そういえばと、私はもう十何年も蛇イチゴを目にしていないことに気がついた。それまで蛇イチゴの存在などすっかり忘れていたのだ。

視界に入っていないだけかもと思い、それから犬の散歩の時にも注意して見たけれど、やっぱり我が家の周辺に蛇イチゴはなかった。昔はもっと身近に生えていたはずなのに、私が忘れている間にどこかへ消えてしまったらしい。(見かけなくなったからこそ、忘れたのかもしれないが)

その蛇イチゴを、先日の山梨で見つけた。彼(彼女?)を思い出して、また会いたいと思ってから1ヶ月もしないうちに偶然出会えたことになる。

大きな木の下の草むらの中にあって、思わず「蛇イチゴだー!」と声が出た。あったからといって摘むわけじゃないし、何かしたいことがあったわけでもない。ただただ、見つけたことが嬉しかった。見つけただけでこんなにハッピーな気分になるなんて、単純。いや、最高だ。

もしも5月に蛇イチゴのことを思い出していなかったら、見逃していたかもしれないし、気がついたところで何も感じなかったかもしれないじゃない? 

ちょっとした感動は、ないよりあった方が百倍いい。


何気ない誰かの個人的な話の中の、相手は特に意図していないだろう「なにか」が心に残って(引っかかって)、後々どこかに繋がっていく。それを「種」に例える人もいてね、その通りだなと思ったんだけど、日記を読む楽しさはそういう「なにか」にあるのかもしれない。一見、全然関係のなさそうなことを思い出すきっかけになったり、今まで興味のなかったことに興味を持ったり…。

自分のことを考えると、有意義なことなんか何も書けないし、この日記に意味なんか全然ないと思うけど、「なにか」を見つけるのは読んだ人だし、意味もその人の中にあるんだよね。だから私は、その媒体(仲人? 中継ケーブル? 窓口?)であれればいい。

もし、ここに来て何か思い出したら、遠慮なく語ってくださいね。

sakurai
書かなければ忘れてしまうようなことを書き、次の日には書いたことを忘れています。1960年代生まれ。♀。肩書不定。ただの「私」でありたいんだと青臭いことを言っても、読んだらわかるただの主婦。