「暇だとろくなことを考えない」と、子供の頃に何度か母に言われた。「暇ほど毒なものはない」ということだろう。どんな「ろくでもないこと」を考えたりしたかなんて覚えていないし思い出す気もないけれど、暇だと余計なことを考えやすいのは、まあ、本当だろう。
今、外は嵐のような風が吹いている。その音が聞こえるということは、他に何も音を鳴らしていないということ。静かだ。そうすると頭の中に色々なことが浮かぶ。それは「余計なこと」だろうけれど、「余計なこと」を考えないとブログなんか私には書けないらしい。
最近は暇だと海外ドラマを観てしまう。「ながら見」で他の何かをしていても、耳はあらすじを追っている。調理中には「聞き流し英語」のようなものを流していて、常に耳は何かを聞いている。ピアノの練習しかり。そうすると断片的なことしか考えられない。
何も人工的な音がしない時間を、もっと作るようにした方がいいのかもしれない。そんな暇な時間に「余計なこと」をわらわら考えてつらつらと言葉を出して流していく。それが「大事」かどうかはわからないけど、とりあえずブログは書ける気がする。むかし、よくキッチンで書いていたのは、調理中に考える癖があったからだ。
どうして今はこんなに寸暇を惜しむんだ?
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