夢の国の海

先週、ディズニーシーへ行った。すぐ近くに住んでいるんだけれど、訪れたのはシーが出来た20年前以来だ。娘が友達同士で勝手に行けるようになってからは、シーにもランドにも全く縁がなかった。つまり私自身にとってはそれほど「行きたい!」という場所ではなくなっていたし、まあ、いつでも行けるし…だった。もしも孫(息子の子)が産まれて誘われなければ、もう一生、行かなかったのかもしれない。

行ってみれば、目を楽しませる景色はある。「作り物」だらけだけれど、空は広く、その向こうに見える海は本物で、ちょっとした旅気分だ。ただ、キャラクターに関しては「人」が入っているとしか思えない頭なので、一生懸命に孫に向かって愛想を振りまいてくれるのは有難いが「ご苦労様」と思ってしまう。2歳間近の彼も何か不思議なものを見るような目で見るばかりで、それがなかなかに可笑しかった。いや、いつまでもそんな感じでいてほしい気さえする。もちろん、キャラクターの名を呼んで手を振るようになったら、それはそれでかわいいのかもしれないけどね。

大人になっても夢の国を夢の国と思える人は幸せだなぁと、思った。

テレビのインタビューでもよく見かけるが、実際に大人の年配の女性がたくさん、ひとりで来園していた。キャラクターと会える券を手に入れ、一緒に写真を撮ったり、コスプレしていたり、あるいは望遠レンズを構えて写真を撮りまくっていたりする。彼女らは、ここに来ること自体が幸せなのだろう。ここに来さえすれば楽しい。キャラクターも大好き。まさに夢の国だ。わざわざ近くに引っ越してくる人さえいる。

そんな場所が、私にもあったらどんなにいいだろう。そこに行きさえすれば、その時間はただただ夢の国。練習や努力は必要ない。行きさえすれば幸せが用意されている場所。たとえばサウナ好きな人のサウナもそんな場所なのかなぁ…。

「そんなこと言っても、あなたは家にいるのが幸せじゃん」と言われそうだけれど、「家」にはさまざまな雑事があって、夢の国というわけにはいかない。趣味の世界も、練習や努力が必要で、もちろんそれも含めて楽しいことは楽しいんだけど、ただ湯船に浸かって極楽というようなわけにはいかない。

結局、ぼーっと何かに浸れない、貧乏性な脳をしているんだろうか。

♪夢の中へ夢の中へ行ってみたいと………思いますってばさ。なのにどうしても、「現実を忘れまい」と抵抗してしまうんだなぁ。

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sakurai
書かなければ忘れてしまうようなことを書き、次の日には書いたことを忘れています。1960年代生まれ。♀。肩書不定。ただの「私」でありたいんだと青臭いことを言っても、読んだらわかるただの主婦。