言えないと癒えないとも言い得ない

ベランダの一番目のバラが咲いた。マーガレットメリル。
もう何年も新しいバラは買っていないから、毎年同じような写真が残る。

連休は楽しかった。法事で久しぶりに親戚と顔を合わせたり、息子家族と遊びに行ったり、彼らと一緒に実家に帰って両親に曾孫の顔を見せたり、母と娘と私で地元の七福神巡りをしたり、娘とローカル列車の日帰り旅をしたり…と、よく歩いた。ありがたくも穏やかな家族の休日だった。

その間にバラもどんどん咲いて、せっかく「一番目のバラ」「二番目のバラ」・・・とブログに載せていこうと思っていたのに、もう順番なんかわからない。

休みの前に凪良ゆうの「流浪の月」を一気に読んだ。作者がBL作品の作家だったということで、なんとなく敬遠していたのだけど、この小説には関係ない。吉田大助氏の後書きに引用されていた部分が正に心に残った部分だったので、引用する。

白く味気ない廊下をあるきながら、目に見えなくて、どこにあるかもわからなくて、自分でもどうしようもない場所いついた傷の治し方を考えた。まったく痛まない日もあれば、うずくまりたいほど痛い日もある。痛みに振り回されて、うまくいっていたことまで駄目になる。/
唯一の救いは、そんな人は結構いるということだ。口にも態度にも出さないだけで、吹きさらしのまま雨も風も日照りも見に受けて、それでもまだしばらくは大丈夫だろうと、確証もなくぼんやりと自分を励まして生きている、そんな人があちこちにひそんでいると思う

凪良ゆう「流浪の月」

「そんな人があちこちにひそんでいる」と思う。
そういう、他者へ理解とか正しさというか優しさを描くために、作者はBLを題材に選んでいたのかもしれないと、ふと思った。


「そんな人があちこちにひそんでいる」と思う。
他人と違ってマイナスと思える部分については、自分だけじゃないと考えることが支えとなる。他人より優れていると思う部分については、「そんな人」はあちこちにひそんでいると思うことで謙虚になれる。

何事についても、言えない人もいれば、敢えて言わない人もいる。その辺を意識できるようでありたいけど、意識しすぎると窮屈でもある。

たまにはデカい声で、はぁー、はぁー、はぁーと、

………いや、言いたいわけじゃぁないのよ。

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sakurai
書かなければ忘れてしまうようなことを書き、次の日には書いたことを忘れています。1960年代生まれ。♀。肩書不定。ただの「私」でありたいんだと青臭いことを言っても、読んだらわかるただの主婦。