サトちゃんとプラタナスと

朝、屋根のある歩道を歩いていると、大抵その時間、薬局の前では店の女性がサトウのサトちゃんを磨いている。店頭に置かれたあのオレンジ色の象のマスコット人形だ。雨風にもさらされず、毎日拭いてもらってサトちゃんはいつもピカピカだ。でも、右手に絆創膏代わりのガムテープを貼られている。可愛い顔をして、誰かと遣り合ったのかもしれない。

昔はこういうマスコットをもっと見かけた。ペコちゃんやケロちゃん、ぴょんちゃん…。子供の頃は、目の高さにあったからだろう。いちいち手で触れていたような気もする。

目線の高さが変わると見えるものも変わる……んだろうか。もしも私の身長があと50センチ高かったら、今は見えていない何かを見つけるんだろうか。

道路側ではプラタナスの剪定をしていた。街路樹は高くなったり低くなったりしながら街を見下ろしている。

ある一箇所のプラタナスの根元には、植木がたくさん放置されていた。私がそこを通るようになった5年前には既にあったし、雑然と置かれた鉢は割れたり傾いたりして、低木はそれぞれに鉢を飛び出し、プラタナスと同じ大地に根を伸ばしているようだった。今はオフィスビルの前にあたるけれど、以前には古い店舗があった場所なんだろう。置いて行った持ち主がもう近くに居ないことは明らかだった。

そのごちゃごちゃの中には、寒い時期に小さな八重の花を咲かせる十月桜(たぶん)があって、季節外れの桜の花を写真に撮る人をよくみかけた。今年もそろそろ咲くんだろうか……そんな風に思い出したその日の帰りのこと…

朝見た時には並んだプラタナスを剪定していた作業者たちが、あるところに集まり、スコップで根元の土を掘り返していた。今まさに、最後の何かを引き抜くところで、いく本もの白く長い根が、土の中から表へと力任せに引っ張り出されている。柔らかく掘り起こされた土の上は黒々として、既にほとんど何もない。他の場所と同じように、プラタナスだけがすっくと立っている。

そうかぁ…と、ため息がもれた。つい今朝まで生きる気満々だった十月桜も、引っこ抜かれてトラックの中に横たわっているんだろう。もう花を見ることはない。わずかな領地はプラタナスだけのものに、戻された。いずれ他のスペースと同じように、根元をまあるく残して、他は何かでコーティングして、雑草も生えないように処置するんだろう。

またひとつ、見慣れた景色がなくなった。でも、それもまたすぐに、見慣れた景色になることを私は知っている。小雨の中、その場には不似合いな土の匂いが強くあたりに立ちこめていた。

sakurai
書かなければ忘れてしまうようなことを書き、次の日には書いたことを忘れています。1960年代生まれ。♀。肩書不定。ただの「私」でありたいんだと青臭いことを言っても、読んだらわかるただの主婦。