あ(仮題)

 「あ」というタイトルとこの写真が下書きにあった。いったい何を書こうとしていたのやら。

 走り書きの独り言です。

金曜日がピアノのレッスンの日だったのに仕事が入るようになってーーということを前に書いたけど、次年度の予定を書き入れたら、やっぱり金曜がほぼ稼働日となっていて、もうそれを見ただけでがっかりだ。なんでこんなに働く日が増えたんだか、お手伝い程度で始めたはずなのに、だんだんと罠に絡め取られていっている気がする。人材は不足したまんま、事業だけ拡大している。その事業にかける私の思いなんて微々たるものなのに…って、ここに来ると愚痴を言いたくなっちゃってだめね。

 家でそんなことを言うと夫は「でも人に喜んでもらえるんだからいいじゃない」とか「やりがいがあるでしょう」とか何とか言うし、娘は「嫌ならやめればいいじゃん」と言い放つ。

 そういうことじゃないんだ。「丁度よく」やりたいんだ私は。それってわがまま?

 

 犬の散歩をしている時に、どこかのママ友さん同士が立ち話をしているのを見て、もしも過去に戻れるなら、私は人付き合いにおいて別の生き方をするだろうかと数秒考えた。「あの時、別の振る舞いをすればよかった」という場面はいくつも思い浮かぶ。ママ友付き合いをしなくても子供は勝手に社交的に育つと思っていたし、実際にそうだったけど、もし子供が幼稚園のとき、小学生のとき、中学のとき、その気になれば私にも友人ができた可能性はあったんだろうか。そうしたら楽しい思い出ももっとあっただろうか。

 保護者が集まる会などがあると、あの人たちはいつあんなに親しくなったんだろうと不思議に思ったりした。一方で、知り合いが隣に座ってくると、不必要に話しかけられたりして(前で誰かが話しているのに!)いやだった。ひとりがよかった。

 そういえば息子が中学を受験する時、試験日には親が着いて行くのだが、息子の友だちで同じ塾のお母さん方といつも一緒に行くのが残念だった(何校か受けた)。息子が試験している間、私はひとりで本を読んだりして待ちたかったのに、一緒にいましょう、おしゃべりしていましょう、なんならお茶しましょう…に巻き込まれる。断ればいいじゃない? なんだけど、その場の雰囲気というものがあった。

 思い返すと、どうしてもっと親しくしなかったんだろう、楽しまなかったんだろうという思いも湧き上がる。今ならもっと上手にできる気がする。でも、もう一度生き直しても、その場になればまた「ひとりがいい」と思ってしまうに違いない。

 そこを頑張って、もっと交友関係を大事にしたら、今の私には何があって、何がなかったんだろう。考え方も人生も違っていただろうか。

…って、選ばなかった人生のこと考えても仕方がない。今後を少しでも変えていくことを考えた方がいいのだ。じゃあ、これからは交友関係を増やしたり温めたりする?

 できそうもないな。

 

sakurai
書かなければ忘れてしまうようなことを書き、次の日には書いたことを忘れています。1960年代生まれ。♀。肩書不定。ただの「私」でありたいんだと青臭いことを言っても、読んだらわかるただの主婦。