6月の要らないやる気

先日、このタイトルでここに記事を書きかけて、途中でこれはnoteの方がいいかなと、あちらに貼り付けてタイトルも変えて投稿した。…で、後で気づいた。その日はまだ6月になってなかったんだ。

美容室で隣にいた人と美容師が旅行の話をしていた。北海道の野寒布岬とか、香港のディズニーランドとかハワイ島…。聞いているだけで楽しかった。どこに行って何を見たとか何を買った食べた、ではなく、どこにどんな人がいてどんなことがあったかという話。つまり、旅先はどこだってよくて、「人」が面白い。話している「人」も含めて面白いのだ。

でも私が旅をしてもたぶん人との出会いは少ない。話すこともほとんどないだろう。もっとも、ちょうど波長の合う人と出合ったら別なんだけど、たぶん、自分から話さないから出会わない。

人が嫌いなわけじゃない。ただちょっと怖い。駅のホームで後ろに立った人、電車で隣に座った人、後方から歩いて来る人、前から来る人、いつどのタイミングで豹変するか分からないじゃんと思う。ただ、少し「想像する」だけでそこまで強く思い込まないから普通に生活できるわけだけど…。

所属している趣味の教室でイベントがある。何箇所かの媒体に広告をうった。そういうときの申し込みや問合せ先のひとつに私が頼まれる。知らん人から電話がある。すごくすごく面倒くさいわけじゃないけれど、心のどこかに「どうして私がやんなきゃなんないのよ!」と思う私がいる。最初の最初の時は、私が一番若いし、その頃は完全専業主婦だったから奉仕の精神で「いいですよ」と快く引き受けた。それから10何年? いつの間にか当たり前になっている。本部の手伝いをするようになってからはなおさらだ。

「いつもサクライさんにお願いしているから、たまにはどなたかやってくれません?」と先生は一応言ってくれるけど、シーーーーン。ああ、よくあるよなぁ、このパターン。幼稚園や学校のPTA役員決めのときからのパターンだ。名指しで誰かを指名すれば、何らかの理由をつけて「無理です」と言うだけなのだ。仕方がないと思っていたけど、私だっていろいろあるんよ! といいたくなってきた。

普段使っている台本を、打ち直してサイズを調整してコピーして折って切って表紙をつけて見栄えを良くする…という作業も、自分がそうしたいから(きちんとしたものを持ちたいから)みんなの分も実費をもらって作っていたけれど、今回は、やめた。「各自、普段の台本のここをこうしてこうして、こうやって作ってください」と、見本(私の分)を見せてお願いした。いつもこれでよかったじゃんと今更思う。

ああ、愚痴を書くつもりじゃなかったんだけど、つまるところ最近の私には「余裕がない」。
ニコニコ笑って「いいよいいよ」と言うのはやめてやろうと思い、次回の稽古の時には無口でいようとさえ思う。不満を態度に出してやる〜。

…でも、そんなこときっと、できないんだよ。

「おまえは一度は断るけど、必ずやってくれるんだ。素直じゃないよな」と言ったのは、中学3年の時の担任だ。先生から名指しで何か頼まれると、「ええー? どうして私がー」とか「いやですー」とか、平気で断るくせに、結局は期待に応えていた。手相占いとかで、「頼まれると断れない性格ですよね」というのも何度言われたかわからない。まぁ、たいていの人はそうだと思うけど!

いいように使われるのは嫌だけど、頼られないのも寂しい。仕事面で、「あ、あれは今回あの人に頼んだんだ」と後から分かると、べつにやりたかったわけでもないし、むしろ頼まれなくてラッキーなのに、一瞬、悔しかったりする。

なんだかんだ言って、「私に頼んで頼んで!」というオーラを発しているのは私なのかもしれない。
よくいるじゃん、そういう人。やる気に満ち溢れている(ように見える)人。それでもって、陰でみんなで言うじゃん、
「あの人ってやりたがりだよね」

ちがうから! いや、そうなのかな…

sakurai
書かなければ忘れてしまうようなことを書き、次の日には書いたことを忘れています。1960年代生まれ。♀。肩書不定。ただの「私」でありたいんだと青臭いことを言っても、読んだらわかるただの主婦。