よそ者のまま

週末に近所の神社でお祭りがあった。おそらく4年ぶりに、お神輿も出て屋台も並び、イベントも行というポスターを見た。日曜日の夕方、賑やかな太鼓の音につられてベランダに出てみると、見下ろす通りの、木々の途切れたあたりに神輿を担ぐ真っ白な法被を着た人々の姿が見えた。数歩行っては戻りを繰り返して神輿をもむ。そのたびに威勢のいい掛け声が聞こえてきた。日差しはまだ熱く、法被の白がまぶしい。でもなんだか、夏らしい光景が懐かしくて、娘とふたり「よきかな よきかな」と言いながら眺めた。

今のマンションに越して来て15年以上が経っている。その前に住んでいたところも近くだったので、子供が小さい時には自転車に乗せて連れて来たこともある神社だ。犬の散歩の折には必ずその前を通る。でも私はずーっと「よそ者」という感じだ。神輿を担いだりその後ろを歩く人たちは昔からこの地に根を張っている「地元の人」なんだろう。なんとなく羨ましい。

実家に帰っても「地元」感はない。私が中学の頃から住んでいるけれど、家は後からできた新興住宅地区にあり、そこに住んでいるというだけで「よそ者」感は強かった。「転校生」としての疎外感は全くなかったけれど、生まれた時から「その土地の人」だったクラスメイトとの間には、何かしら見えない溝があるような気がすることがあった。

先日、実家に帰った時、その住宅地区の自治会の回覧を見せられた。最近5人の人が亡くなったという記載があり、その中に、昔付き合っていた人の母親の名前があった。ああ、そうなんだーと、ちょっとだけそのお母さんの顔を思い出した。もはや「地元」の誰のことも、生きているかどうか知らないんだけど。

sakurai
書かなければ忘れてしまうようなことを書き、次の日には書いたことを忘れています。1960年代生まれ。♀。肩書不定。ただの「私」でありたいんだと青臭いことを言っても、読んだらわかるただの主婦。