あり得ないことを切望したい

夫も娘も出社する日が増えた。一人で過ごす時間が増えて、好きなことができる。でも今の私がしたいのは、「なんにもしないこと」なのかもしれない。誰も仕事をしていないから音を出してピアノを弾けるとか、タブレットとかじゃなくてTVの大画面で配信ドラマが見放題とか、普段はできないことができる日なのに、べつにしたくない。

したいことって、できないことなんだよね。できないことだから、したい。

なにもしないなら、空でも眺めてぼーっとしていればいい。でも、それも苦手だ。窓ガラスの汚れに気づいてしまったりして、掃除でもしようか、カーテンも洗おうかと思ってしまう。そんなこと一人の時じゃなくたってできるのに。

小学校の低学年の頃だと思うけど、授業中に窓の外にエンジ色の瓦の屋根が見えていたのを覚えている。おそらく、それはある教室のひとつの窓からの景色であり、さらに席替えが学期ごとにあったはずだから、数ヶ月間のことだ。なぜその景色だけ覚えているのか分からないけれど、私の心はその屋根の、その向こうに飛んでいた。ぼーっと空想に浸っていた。あの時、何を考えていたんだろう。どうしてこんなに鮮やかに覚えているんだろう。あの時の私と交信したいよ。

空想。妄想。気づいたら、しなくなっていた。
「んなことあり得ねぇー!」ってことだって、頭の中では叶えられた。そんな自由はどこに行ったんだろう。有り得ることを考えるのに忙しいばかりだ。

もしも空から一億の星が、いや、お札が降ってきたらとか、もしも目の前が海だったらとか、どこでもドアがあったらとか空を飛べたらとか、思い浮かべても一瞬しか想像が続かない。すぐに冷めた声で「そんなこと考えても無駄!」「あり得ないから!」と打ち切ってしまう。誰が止めるんでもない。不自由にしているのは自分だ。

なんかこう、メーターを赤い方へ振り切ってみたいよ。実際にはできなくても、想像くらいは。

sakurai
書かなければ忘れてしまうようなことを書き、次の日には書いたことを忘れています。1960年代生まれ。♀。肩書不定。ただの「私」でありたいんだと青臭いことを言っても、読んだらわかるただの主婦。