階段のところに、小石のように点々と見えるのは鳩だ。
それぞれに首を曲げ、嘴を羽根の中に入れて休んでいる朝の光景。
同じ格好をしていても、思いはそれぞれ違うのかもしれない。
私が趣味のあれを始めるずっと前から、別の教室に所属して大きなものから小さなものまで発表会にはいつも出ていたAさんが、辞めたと聞いた。同じ教室のBさんとの確執が原因だ。お二人の仲が悪いということはかなり前から耳にはしていたけれど、AさんもBさんも、個人的に接する限り、私にとっては立派な先輩だった。仲が悪いながら20年近く一緒の教室にいて一緒に作品を作っていたのに、とうとうAさんの方が病んでしまったらしい。
とことん、馬が合わなかったんだろう。マウントの取り合いの末の結果だと思われるけれど、何年も一緒にやっていて、年齢もそれなりに重ねて、それでもなお堪えきれない「嫌い」という感情…というか、長年一緒にやって、お互いをよく知ってもなお許せない感情があるというのが、すごいなと思う。私にはAさんもBさんも、どちらも悪くは思えない。実際に衝突する場面を見ていないし、部外者だから当然か。
Aさんは上手な人だった。歳は取ってもよく声が出て、表現力も豊かだった。やめちゃったなんて残念だ。本人が一番残念だろう。BさんはBさんで、自分がいたからAさんが辞めたと知られている世界の居心地はどうだろう。
続けたいけど、もう我慢できない。その人が目に入らない場所に行きたい。
そういうのは、わかる。自分は動きたく無いから、相手が去ってくれるのを待ち続ける。でももう待ちきれなくなる。
「嫌い」という感情は厄介だ。無関心になれないからこその感情だから、無関心になれない自分を責めたくなったりもするし、人を嫌う自分の感情が許せなくてやっぱり自分を責める。そして、それがまた「アイツがいるからだ」と、ムカツキを増長する。
あ、別に今、私が誰かにムカついているっていう話ではないのよ。一応。