言うまいと思えど今日も

暑い! 帽子を被る気にはなれず日傘を両手で持ち、下を向いて黙々と歩く。アスファルトの上にミミズが「し」の字になって干からびている。いくら日差しを遮っても、足元からもわもわと熱い。

あまり物が考えられずボーっと歩く(それは暑さのせいじゃないかもしれないけど)。数ヶ月前から「この日は大変だろうな」と思っていた日が、もうすでに先週に終わっていたことを思い出し、いつもながら、どんな日も24時間、同じようにやって来て、同じように過ぎてしまうんだとしみじみ思う。

それなのに、「大変だなー」という憂鬱感だけが抜けずに残っているから、「あー大変だ」「いや、終わったんだ」というのを何度か繰り返してしまう。

学生時代で言えば、テスト期間が終わっても「勉強しなきゃ」のプレッシャーだけが去らず、ふとしたときに「やらなきゃ!」という考えが頭に浮かんで焦るのと同じような感じ。たぶん、「やったーーー!! 終わったーーー!」という区切りの瞬間を持たないせいだろうなぁ…。あるいは、そこまで一生懸命にやり切っていないからなのか?

お酒が飲めないのもあり、大きな舞台があったりした日でも「打ち上げ」という場が苦手で、いやいや、私はとにかく早く帰って一人になりたいよと思うのだが、「打ち上げ」も「区切り」としては必要なんだろう。大きな会でも小さな会でも、終わった後にみんなで食事をしたりして喋り、その日の「余韻」をじっくり味わうことで、「区切り」はつくんだろう。

そそくさと帰ったって、そこで自分で区切りをつければいいんだろうけど。

ところで、仕事では自分が「先生」と呼ばれることもあれば、講師のアシスタントとして出るだけのこともあるのだが、今日は後者だった。数回の講座を終えたアンケートの、その、とりまとめてもらったものを見ると、自由に書く感想欄には講師への感謝の言葉がある。

アンケートの取り方にもよるのだが、たとえば設問の中に「スタッフの対応はどうでしたか?」などがあると、最後の「感想」部分にもスタッフへの感謝の言葉がある傾向がある。が、スタッフに関する設問がない場合は、100%といっていいほどスタッフには触れられない。講座全体の回数が少ないと接する機会も少ないので、特にそうなる。

いや、いいんですよ、触れなくたっていいんです。スタッフにも感謝してくれと言いたいわけじゃないんです。

もちろん、直接「ありがとうございました」と言ってから帰る方もいらっしゃる。でも、最終的にアンケートを見た時、何枚見ても「どこにも居ない私」って、いったい何だったんだろ? という気持ちになると、ちょびっと寂しくって、区切りが付かない。「終わったーー!」という気がしない。

アイス食べようかな。

sakurai
書かなければ忘れてしまうようなことを書き、次の日には書いたことを忘れています。1960年代生まれ。♀。肩書不定。ただの「私」でありたいんだと青臭いことを言っても、読んだらわかるただの主婦。