選択肢があるからいいのか悪いのか

(毎年見る早咲きの桜)

夕方の電車の中で立っていたら、目の前に座っている女の子がまさに「爆睡!」という感じで寝ていた。身体は前に丸まって後頭部まで見える。サラサラ髪に学生服。大きく開いた両足の間に鞄があって、その鞄にぶる下がっている二つの大きめなマスコット(ぬいぐるみ)も、床に寝そべっていた。

荷物を電車の床に置けるって、すごいよなーといつも思う。スーツケースはともかくとして、学校のカバンやボストンバッグにエコバッグ。それ、家の中にも置きますよね? 誰のネタだったか、「その床はトイレと同じ」という論法を思い出してしまう。

降りる駅に気づいたのか、ふっと顔を上げた少女はとても可愛い顔で、鼻にふたつピアスをしていた(あ、マスクをしていなかったんだな)。それから慌てて立ち上がり、鞄を引きずってホームに出て行った。持ち手の片方しか手にしていないらしく、本当に、引きずっていた。マスコットもズルズルと連行されて行った。

よそのお子さんのことではあるけれど、あれを家の中に持ち込むのは土足で家に上がられるようなものだと思う。知らぬが仏というところなのかな。

ちょうどその子が座っていた斜め後ろ(窓の横のスペース)には、10代の子に向けた二重術の広告が出ていた。うろ覚えだけど、「高校の3年間、1秒でも可愛い私でいたい」みたいなキャッチフレーズと女子高生三人の写真。そして3万円台の費用。高いのか安いのかしらんけど、高校生でもアルバイトやお年玉で賄えそうな金額だろう。

容姿を(というか容姿だけを)一番気にしそうな10代に、それならプチ整形しちゃえば? というのは短絡的というかなんというか…。容姿を気にしなくなったら、その分、勉強や運動や、他のことに身が入るのかっていえばそんなことはないだろう。それはあれだ、私の世代で言うと「ラジカセがあったら英語の勉強ができる」と言って買ってもらったプレイヤーで音楽ばかり聴いたり深夜放送にハマるだけ、みたいなもんだろう。

異性にもモテて、友だちと写真を撮るのも楽しくって、可愛い私なら超ハッピーになる? じゃあ、容姿にコンプレックスがない人はみんなハッピーなのかっていったら、そんなことはないでしょう。悩みなんかひとつ潰したってそこら中から湧いて来るのが若さのはず。

「でも選択肢が広がるのは良いことです」
ってことになるのかな。時代なのかな。大変ね。(the 他人事)

sakurai
書かなければ忘れてしまうようなことを書き、次の日には書いたことを忘れています。1960年代生まれ。♀。肩書不定。ただの「私」でありたいんだと青臭いことを言っても、読んだらわかるただの主婦。